第伍話  午前3時24分





部活を終えて帰宅すると、玄関で暁さんが待っていた。


「お帰りなさい」
「わ、びっくりした。どうしたんですか?」
「一番にお帰りなさいと言いたくて」
「あ・・・」

今朝、俺があんなこと言ったから・・・。気を遣わせちゃったかな。
この人、やっぱ天然だ。天然で不器用で、でも温かい。

「ただいま、暁さん」





両親を事故で亡くした後、
天涯孤独になった俺を引き取ってくれたのは、父さんの幼馴染である綾瀬さんだ。

父さんにも母さんにも、兄弟や親戚と呼べる人が一人もいないらしい。
何か事情があるみたいなんだけど、聞いてもはぐらかされてしまう。

綾瀬さんは近所でカフェ兼古本屋を経営していて、
俺も部活がない日や週末は手伝いに行ってる。

両親が残してくれたこのマンションや貯金も管理してくれていて、
綾瀬さんには暁さんの話をしておいたほうがいいのかな、などと夕ご飯を食べながら考えていると、

「惣万様、早速仕事が入りました。明朝午前3時に起きていただけますか?」

と、営業スマイルから一転、神妙な面持ちで暁さんから告げられた。





そしてただ今、午前3時15分。
セーターにコーデュロイのパンツ、
厚手のコートにマフラーをぐるぐる巻きにして完全防備の俺に比べ、
暁さんは上下黒のスーツ姿のままだ。

「暁さん、寒くない?ってか、これからどこ行くの?」
「私のことはお気になさらず。一緒に屋上に来ていただけますか」

「屋上?」



5階建てのマンションの屋上に到着したものの、
暁さんは懐中時計を握り締めたまま、微動だにしない。


「惣万様。少し私から離れていてください」
「え、うん、わかりました」

「時間です」


すると、あたりの空気が一変した。

上下左右の平衡感覚が鈍くなる。
地面に立っているはずの足も、コートのポケットに突っ込んでいる手も、痺れて指先が動かせない。

音が・・・一切しない。
身を切る寒さの風も止んでいる。

キーンと耳鳴りがして、じわりと脂汗が額ににじみ出てくる。


「惣万様、大丈夫です。体の力を抜いてください。
  今、午前3時24分00秒で、一時的に時が止まっています」
「時が止まってる?」
「はい」
「私の仕事が終わるまでの間だけです。惣万様の体には何の影響もありません」


暁さんは懐中時計をしまうと上着の内ポケットから万年筆を取り出した。

「では、始めます。執行者、紅の龍、暁の命において・・・開け〜、ゴマ!!」

「って、え〜〜〜〜!!」

「なんですか、今大事なところなんです。邪魔しないでください」
「いやいや、大事なところなのに、その掛け声はどうなの?」
「これは代々、紅の龍に受け継がれてきた由緒正しい尊き言霊ですから」

「・・・絶対嘘だ・・・」


俺が軽くショックを受けていると、 暁さんは万年筆の鋭い先端を自分の左手の人差し指に突き刺した。

「ちょっと、暁さん!?」
「いいから、黙って見ててください」

流れ出た血の赤と、万年筆のインクの黒が、混じり合いながら滴り落ちる。

雫が地面に触れると同時に、視界がぐにゃりと歪んで、街の光も空の星も全て暗転。

景色が一面、漆黒に塗り変わった。

体の内側から溢れ出した恐怖に、たまらず目を閉じる。
自分の荒い息遣いと加速した鼓動を感じる。



ゆっくりとまぶたを開けば、
真っ先に瞳に飛び込んできたのは、碧く輝く巨大な月。

それを背に、腰に届くほどの黒髪をうるさそうに手で払う暁さんがいた。







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