第八話  死の感触





決して許されない大罪を犯した者には、それ相当の罰を与えなければならない。
ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」というやつです。

けれども実際問題、それは不可能でしょう。
現に法治国家である日本では、罪を犯しても逮捕されないケースも少なくなければ、
人を殺めた者に対して多大な時間とお金と労力を費やして司法で裁いた結果、
懲役15年だの、無期懲役だのといった刑が下されるわけです。

死刑判決が下り、法務大臣の許可サインのもとに刑が執行されることもありますが、
そもそも人が人を裁くのには限界があるということでしょう。

社会には憲法や法律といったルールが必要で、犯罪者にもそれは適応されなければならない。
人権、そして平等という大義名分に守られているのです。

殺された人はもう二度と、戻らないというのに。



「すいません。つまらない話を長々としてしまいました」
「・・・。つまり、暁さんは罪を犯した人の魂を狩るのが仕事ってこと?
  人を殺したのに死刑にならなかった人とか」
「いえ、必ずしもそうではありません。
  たとえ命を奪わなくても、他人の体を、心を、人生を、深く傷つけることもあるでしょう。
  問題は、犯した罪の内容と重さ、そしてその後の償い方です」





橘という人は、軽自動車に乗っていた夫婦のうち、男性の方は奇跡的に助かったことも、
事故の後遺症で記憶を無くしていることや車椅子での生活を余儀なくされていることも知っていた。
けれでも、ここでも彼は何も行動を起こさなかった。

被害者の男性が記憶を失っているのをいいことに、見舞いに行くこともしなければ、
ましてや謝罪の言葉を口にすることもなかった。
罪の意識をずっと感じてはいたようですが、
自首する機会は何度もあったにも関わらず、彼は結局逃げてしまった。

時効が過ぎ、医師としての名声も手に入れて、
事件のことを過去の出来事として頭の隅に追いやってしまった。

25年後、自分の働く病院で再会したときはさぞや驚いたことでしょう。
動揺のあまり仕事は手に付かず、顔面蒼白、茫然自失の状態で帰宅。
普段は、病院からいつ呼び出されてもいいように決して口にしないアルコールを浴びるように飲んで意識が混濁し、
足元がふらついて仰向けに転倒した際、後頭部をダイニングテーブルにぶつけて・・・
そして亡くなったのです。



「だから私が派遣されてきたのです。
  罪深く穢れを負った魂を、裏の世界すなわち龍の世界へと強制送還するために・・・」





惣万侑は「死」に触れたことがある。
正確に言えば、「死体」に触ったことがある。
それも自分をこの世に産んで、愛しみ育んでくれた両親の、だ。

6月の終わりだった。
日差しの強さが日に日に増して梅雨の湿っぽい空気が遠ざかり、
樹木の艶やかな緑色に夏の匂いが感じられる、そんな季節だった。

侑は泣いた。
座り込んでおいおいと泣いた。
大人たちは幼い侑のそんな姿に胸を打たれ、もらい泣きしていた。
けれども、侑は悲しくて泣いていたのではない。
子供心に周囲の空気を慮って、泣かなければいけないと感じていたのだ。

両親の死はあまりにも突然で、侑の理解の範疇を越えていた。
もう二度と両親には会えないのだ、抱きしめて頭を撫でてもらえないのだという喪失の重みは、
年を経て成長するにつれ真に侑の心を苛んでいった。

ただ、棺に納められた両親の頬に触れたとき、「これは違う」と確かに思った。
これは、僕のお父さんとお母さんじゃない。違う、別の何かだ。
触れた指の先から熱が奪われていく、ひんやりとして硬い感触を何かに例えるのは難しい。
熟睡してぴくりとも動かない人間と同じように、ただ、目を固く閉じて横たわっているようにも見える。

でも、でも・・・。

体温がないとか、呼気が感じられないとか、そういう生物学的な差異ではなくて、
もっと根本的に本能的にこれが「死」なのだと悟った。
ここにはもう、両親はいないのだということを、侑は肌に直接刻み込んだのだった。





To be continued...




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